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「作る」の意味の再確認

3枚の写真

まずは左の画像を見てください。
これはどこの御家庭にもあるポリバケツを逆さに置いただけの画像です。
誰かがこれを「私が作った椅子です」と言った場合、貴方はこれを自作作品と認めますか?


次は折鶴です。
これは、1枚の紙を変形させただけの物です。
ポリバケツを逆さに置くのと紙を変形させるのとは同じでしょうか?
そして貴方はこれを自作作品と認めますか?


最後にもう一枚。 
これは、スヌーピーのバスタオルを畳んで前述のバケツの上に置いた物です。
誰かがこれを「私が作った椅子です」と言った場合、貴方はこれを自作作品と認めますか?

私の考え方

上記の問題に絶対的な答はありません。人によって考え方は様々ですし、そもそも「言葉」は「生き物」ですから、作るという言葉自体、時代や状況に応じてその意味が刻々と変化しているのです。

でも、この場で私はあえて作るを「材料の加工・変形、もしくは組合せによって新たな価値を生み出す行為」と定義したく思います。そしてその行為を自分(あるいは自分達)で行なったのならば、それは自作です。

この定義に従うならば、前述の3枚の画像はこうなります。

これは変形も組合せも行っていません。確かに「椅子」という新たな価値は生み出していますが、人によっては「ヘルメットを作った」と言うかも知れませんし、「巨人の出べそを作った」と言うかも知れません。これらを全て認めてしまうと個人の主観で作るの意味が変わってしまいます。


これは「1枚の紙を変形させる」と言う行為を行った上で「鶴」という新たな価値を生み出しています。
これは自作作品と認められます。


これは微秒です。椅子としての心地よさを得るためにバスタオルを置いたなら立派な自作作品ですが、たまたま逆さバケツにタオルが置いたら座り心地がよいと気がついただけなら、自作ではなく単なる「発見」です。
でも、その発見に基づいて、この「タオル逆さバケツ」を量産したのであれば、やはり自作と言えると思います。


よくある自作論争

論争というと大袈裟ですが、ネット(SNS)上においても「自作した」「それは自作とは言えない」「いや自作だ」と話題になるものを集めてみました。

プラモデル

男性の方なら一度は作ったことはあると思います。
これが何故論争になるかと言うと「作ったのではなく組み立てたに過ぎない」と主張する方がいるからです。しかし「組み立てる」という言葉を一言で言うとやはり「作る」です。もし創るとか造るの方の文字を当てるならば問題ですが、「作る」という字を当てる限り、「ツクったのではなく組み立てたに過ぎない」との主張は認められないと思います。


ATXパソコン

これも、プラモデル同様「作ったのではなく組み立てたに過ぎない」と主張する方がおります。特に8080やZ80などのCPUを使ってコンピュータを作った世代にとっては、これを「作った」と称す事に大きな抵抗があるようです。

実は私自身も「それは『自作』じゃなくて『自組』だろ!」と発言した事もあります。
要するに「自分が色々な学習を経験を積んだ上で苦労して作った物」を、簡単な行為だけで「作った」という者達への嫌悪感がその根底にあった様な気がします。

しかし、何十年もの学習を経験を積んだ上で作ろうが、5分で組み立てようが作ったという事実には変わりはないのです。


上記のプラモデルとATXパソコンは共に筆者作。プラモデルは宇宙戦艦ヤマトに登場する国連軍旗艦きりしま(2013年作)、下はVISTAマシン(2007年作)

「単なる自作」の上を行く「完全自作」

ここから先は提案です

前述の「プラモデル」や「ATXパソコン」は自作と認めるべきだと思います。
その上で、無用な混乱や論争を避けるために完全自作という言葉を定義したく思います。

完全自作の定義は「それを作るためだけに存在する部品を用いずにそれを作る事」です。 但し部品自体が完全自作した物である場合はその限りではありません。また各種工具や計測器、測定機などはその対象ではありません。

プラモデルは完全自作ではありません

この定義に従うと、プラモデルは完全自作ではありません。なぜなら、例えば戦艦のプラモデルの部品はその戦艦を作るためだけに存在するからです。但し、戦艦のプラモデルの部品を使ってミニカーを作ったのであれば、他に「ミニカーを作るためだけに存在する部品」を使っていない限り、完成したミニカーは完全自作と言えます。

ATXパソコンも「完全自作品」ではありません

ATXパソコンも完全自作ではありません。最も問題になるのはマザーボード(マザボ)です。これは明らかにATXパソコンを作るためだけに存在する部品だからです。もしマザボを自分でプリント基板を買ってきて自分で加工したならば「完全自作のATXパソコン」と呼べるでしょう。しかしその場合でも「完全自作のATXパソコン」であって「コンピュータの完全自作」ではありません。なぜならCPU自体が「コンピュータを作るためだけに存在する部品」だからです。

コンピュータの完全自作とは

CPUの自作は必須

まずはCPUを「CPUを作るためだけに存在するもの」を使わずに作る必要があります。私自身はTTLを用いましたが、リレーを使って自作された方もいます。最近ではFPGAを使うのが簡単かもしれません。実は私自身はFPGAを使用したコンピュータを「完全自作」と呼ぶのに若干の抵抗はあります。しかしFPGA自体はコンピュータを作るためだけに存在するのではありませんから、完全自作と呼ぶこと自体に反対はできません。但し、他人が作った「完成したCPUのHDL記述」を使うのであれば、それは完全自作ではありません。

プリント基板(PCB)の自作

RETROF-16の作成において、私自身は両面基板を自分でパターンを考え、露光、穴あけして作りました。勿論、今はデータを送るとPCBを作ってくれる業者も沢山あります。ではPCBの作成を外部に委託した場合、それは「完全自作」のルールに抵触するのでしょうか?

私自身は、設計データが100%自らの作品である限り、その製造を外部に委託するのは構わないと思います。つまりPCBを作る業者自体を「ツール」として考えるのです。ツールを使うのは製作者の意図であり、ツール自体が作品を作るわけではないからです。しかし、自分でも作成できるものを他人の手を借りて行うのには若干の抵抗があるのも事実です。

ソフトウエアの自作

コンピュータはソフトウエアが無ければ動作しません。従って「コンピュータの完全自作」を目指すなら、必要なソフトも自作する必要があります。「ソフトは別枠」と考えるのであれば、それは「コンピュータの完全自作」ではなく「コンピュータのハード部分の完全自作」と言うべきです。

では、コンピュータがコンピュータであるために必要なソフトとは一体何なのでしょうか? 私は下記の3つを提案したく思います。


OS

OSと言ってもWindowsやLinuxの様な高級品である必要はありません。何らかの形でプログラムを実行する機能があれば十分だと思います。場合によっては、NECの8001や9800シリーズの様に、電源投入と同時にBASICが走りだす仕組みでも良いかと思います。パワーオンスタートならばOSは不要ですが、ここでは便宜上、そのような仕組みを含めてOSと表現させて頂きます。

言語処理系

最低限、機械語を入力する手段があればOKですが、できればアセンブラか何らかの言語のインタプリタかコンパイラは欲しい所です。セルフコンパイラが理想ですが、クロスコンパイラでも構わないと思います。但しクロスコンパイラの場合はホストコンピュータとの通信手段(オブジェクトコードの転送手段)も自作する必要があります。またプログラム自身にも完全自作の定義は適用されますので、コンパイラジェネレータ(コンパイラコンパイラ)の利用は御法度です。(コンパイラコンパイラはコンパイラを作るためだけに存在するソフトウェア部品)

アプリケーションプログラム

これは何でも構わないと思いますが、作成したハードの機能をフルに引き出す様なアプリケーションが望ましいと思います。RETROF-8では「円周率を100桁求めるプログラム」を作りました。但し表示装置が並んだLEDだけだったので「見てもつまらない」という意見が大半でした。この点を踏まえてRETROF-16では、インベーダーゲームをその題材にしています。

究極の自作、「オリジナルコンピュータの完全単独自作」

オリジナルとは回路図、命令セット、言語仕様、実際のプログラムコードの何れにおいても、他者の作品からの流用が無いという事です。また単独自作とはハードもソフトもケースも、そしておそらくマニュアル作成等も全て一人で行うということです。これは恐ろしく時間のかかる仕事です。作品の性能や規模にも左右されますが、インベーダーゲームを実行可能な性能を持つコンピュータならば、1日平均2~3時間の作業でも5~10年は要すると思います。RETROF-16プロジェクトはそんなプロジェクトなのです。

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